貴女にとってお母さんってどんな存在ですか?

Instagramでの更新が主になっていますが、こちらでは少し長い文章を不定期で上げていこうかと思います。

先日久しぶりに長文のメールマガジンを配信したのですが、みなさんのご感想がとても心に響いたので、こちらにも配信内容を共有しておきたいなと思いました。

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2023.1.29配信

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LAURAMICA【I’M WONDERING ABOUT
           答えの出ない雑感いろいろ】
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皆さんにとってお母さんってどんな存在ですか?

一言では語り尽くせぬほどのさまざまな想いが
去来するのではないかなと思います。

「お母さん大好き!」

とお母さんのことを考えただけで
無邪気な喜びがあふれ出てくる方は

もうそれだけで生きる幸せを
味わっておられると思うのだけど、

「母親とあまり仲が良くない」とか

「わかってもらえなくて寂しい」とか

母の性格が好きじゃない、

小さい頃こんなことをされた、

母のせいでこうなった、

などなど本当にたくさんの思い出や感情が
去来されるかたも多いのではないでしょうか。

私はといえば、思春期の頃からかなあ、
母と距離を置きたいと思うようになりました。

私の母は、豪胆で、時に少しだけ無神経。
もっとも私はHSPMAXで超絶繊細なので、
母が無神経というよりも、私が繊細すぎる、
という方が正確なのだと思います。

分析や熟考は苦手な感覚派自己完結者。
そのため若干エゴが強めの世話焼き母さん。

でもその実寂しがりで愛を一番大切にしている、
肩書きや自己顕示欲で人を判断するようなことがなく、
誰に対しても分け隔てなくフラットに関われる、

ものごとの本質が肌感覚で分かっている、
覚者のようなところがあって

すごいなあと感服することが多い、
チャーミングで素敵な人です。

一方父は、ユーモアのセンスに優れ、
沈思黙考し、クラシック音楽と書物を愛し、
母を愛し、私を愛し、世界を愛し、

なんなら死が持つ一縷の色香をも
愛でているような人で、

おしゃべり好き、議論好きすぎ、論破好きすぎで
論破できないと拗ねるという、

人間らしい、というか男性らしい一面も
色濃く持っている人だけれど、気質が似ているので
一緒にいて楽な素敵な人です。

父のことを、とりわけ母のことを
ここまでサラリと思えるようになったのは、
ここ最近のことなんじゃないかなあ。

私はもともと小さい頃から

生きることの意味ってなんだろうか
人間ってなんなんだろう

なぜ自分だけが自分を見ることができないのだろうか
生まれて死ぬとはどういうことなのか

なぜみんなは無邪気に将来なりたいものを決められるのか
なぜみんなは素直に1たす1は2と思えるのか

そんなことを悶々と考えているような子供でした。

大学では美学を専攻し、美とは何か、調和とは何か、
ということを絶えず学問として探究する日々でした。

そんな布石があって迎えてしまった911。

あの時だったんですよね、

「あ。この世界はおかしい。何かが決定的におかしい。
本質から大きくズレてる。どうしたらいいんだろう。」

と思ったんです。

その後一気に精神世界との出会いがあり、
気づきが広がり深まり、

そしてそれと共に両親との心の距離が
できてしまいました。

大切にしている世界を
理解してもらえないというのは、
寂しいことです。

それまでたくさんのことを語り合えてきた
両親だったからこそ、理解はおろか、

「この子はあぶない新興宗教にでも
ハマっているのではないか」

と思われるのも寂しく感じました。

精神世界における学びを孤独に続けておられる方の中には
そういう過程を辿っておられる方も多いかもしれません。

(ただ実際大いに慎重に注意深く歩んでいかないと
危険を孕んでいる世界ではあると思います。)

母との関係において私の場合は更に、
私の結婚に母親が反対で(苦笑)。

結婚して家を出る時も、引っ越しをする時も
旅立ちへの言葉も何もなく、挨拶もなく、
家にもいなかったくらいなので、

精神世界の勉強も結婚も全て、

「私が大事にしているものを全く理解しない、
理解しようと歩み寄ろうともしてくれない人なんだな」

と思ったものです。

今では物理的な距離をもったことで、母に対する期待が薄れ、
母のほうも私への幻想が消え、

自己同一に近いほど自分に引き寄せていた
「子供という存在」を引き離すことができたことで、

「ああ、私の子は私が思うほど大した子ではないし、
この子よりお婿さんの方が、はるかにできた人なんだな。。」

と分かってくれるようになりました
(大したことない子w)。

お母さんにわかってほしい
自分の思いを尊重してほしい

これは全ての子供に共通の願いなんじゃないか
と思います。

でも、最近思うんです。

「分かってほしい」

って思っているのは、お母さんだって同じだと。

結婚し、子供を産み、産んだ瞬間から
いきなりお母さんになってみて思うんですよ。

「お母さんはいきなりお母さんになれるわけではない」

(苦笑)

「この子を!この子をなんとしても自分が守らなければ!」

とは思うんです。
でもどうやったらいいか分からないから必死。

生まれた子供はコミュニティ全体で見ていきましょうね、
という世界観から大きく外れて子育てワールドに
身投げしていく私たち日本人ママ。

ワンオペのママさんなら特に、
迷い焦り憤り落ち込み自信喪失することも多々あり、

「無理」
「できない」

って昼間のリビングで孤独につぶやくことも
1度や2度ならずあったのではないでしょうか。

ましてや、母親になる前まで、自己実現を果たすべく
みなさん多かれ少なかれ邁進していくわけで、

ギャップ。

もう本当に、
産前産後の天地180度回転のギャップ(落涙)。

ここの理解が子どもサイドでできることは、
もちろん小さいうちは難しいでしょうし、

親元から離れても、寂しい思いがくすぶったままだと、
難しいかもしれません。

でも、私たち子どもが「母親は偉大」という幻想を外し、

「母親も一人の人間、一人の女性、
あるいは永遠の少女性を丸抱えて生きているのだ」

と心底分かった時、
母、そして母性というものへの理解が深まり、

それゆえ逆に、自分の内側の母性、
女性性が真に花開いて、

自分であることが楽になり、
自分であることを心底謳歌できるのかもしれない。

母を抱きしめる母に、
子である自分がなってしまう。

その時に、母への理解、自分自身への理解が
グッと深まり楽になるのでは。

そんな気がしています。

先日お昼ご飯をご一緒した方が、
素敵なお話をしてくださって。

そのかたのお母様は旦那さんのご実家に入られて、
義両親の介護をお一人でされ、お仕事もされ、

2人の子供を育て、自分の意見をいう事なく、
住んでおられる町から出ないような方だったと。

そんなお母さんに自分のしていることを見てもらいたい、
理解してもらいたいと思い、

当時通っていらした伝統ヨガクラスのインドの先生に
相談をされ、

お母さんにもヨガクラスに
参加してもらったのだそうです。
(来てくださるお母様が素晴らしい!と思う!)

参加者の皆さんで円陣を描き、
その円の中でご自身とお母様のストーリーを話され、

お母様は涙を流し、
ヨガの先生はお母様の足元にひざまづき、
お母様の足元に口づけをされ、

「あなたはすごい方だ」

と称賛されたのだとか。

お話を聞いていて涙が溢れました。

お母様はその瞬間、報われたのかもしれない。

わかってもらえた。と思われたかもしれない。

もちろんそれは私の勝手な感覚なので
本当のところはわかりません。

でも、お話を聞いていて、

「理解してほしい」

と思っていたのは、もちろんその、
ヨガを学ばれていた方の思いではあるだろうけれど、

同時に、お母様の切な願い、

妻でも母でもない、

一人の人間としての、
一人の女性としての、
女性性を丸抱えで生きる、
母性というものと向き合って格闘する

そんな方の、希求でもあったかもしれない。

結婚し、子供を産み、母となって19年目となった私は、
そう感じたのでした。

母はいつまで経っても母です。
それは変わりがないけれど、

でも母は一人の人間で、一人の女性で、
いつもいつまでも心の奥に抱え持つ
少女性の保持者でもある。

そこを子である自分が愛おしく抱きしめられた時、
お母様は一人の人間として解放され、

同時に子であるご自身の、本当の女性性が
艶やかに開花するのではないでしょうか。

ああ。。。

グルグルとトーラスを描いて回る、
この母性エネルギーというもの。

母と子が時に入れ替わり、
時に立場を変えて分かり合えていく

不思議な対流。

皆様はどうお感じになられましたか?

感想をこちらまでお寄せくださると嬉しいです。

LAURAMICA ONLINESTORE