─────────────────────────────
この投稿は、画家MARUUさんの最新漫画(現在こちらにて無料公開中)で大いに心震え、一気呵成に書いてみたものです。
─────────────────────────────
今回のブログ、長くなります。あまり推敲も重ねてないので、読みにくい部分もあるかと、段落同士の構築も不完全なままかと思いますが、読んでくださったらとても嬉しいです。
地球に生まれた小さな私。
その私が、
いつしか命を産み落とす存在に変容していく。
幼少期を経て少女になり、女性へと。その過程での身体の変化ひとつひとつに逐次付き合っていく、という作業は、「みんなが通っている道だから、自然で当たり前なこと」のように捉えられるけれど、その実、ぎょっとするような感情やコンプレックスと向き合う、セミハードタイプなプロセスの連続といってもいいのではないでしょうか。
身体の成長はコントロールが効くものではありません。胸は粛々と膨らんでいき、初潮がやってきて、膣も大人びていきます。
身体の不思議に嫌悪を感じたり、反対に自分を愛しく思ったり、恋するあの人との淡い妄想が広がったり、いろんな感情が去来するけれども、多かれ少なかれ乙女は日々の身体のディテールに戸惑い、左右され、受け入れたり抗ったりを繰り返す生き物だと思います。そしてそんな揺らぐメンタルをよそに、身体は淡々と着実に生き物としての成熟を目指して、更には死というある種のピリオドを目指して準備を進めていくので、時に心が追いつかないことも、ままあるのではないかと思います。
心って揺らぎますよねぇ。。。
だからこそ人はアートを生み出せるのだと思うのだけど、“身体”や“命”とがっぷり四つに組み合うとなると、冷静にというか、資本主義的成果主義的に考え始めちゃったら、不安や心配が多少なりとも頭をもたげるのではないかと思います。
故に、
「私、完全に母親になる準備できております。」
という確たる信念を持って妊娠出産を迎える女性は、文明国家圏ではそんなに多くないのでは、というか、もしかしたら皆無なのではと感じます。
そもそも、「子を産みたい」という、その欲求は、その正体の奥をググっと見つめたならば、“思いに至る前の野生的な衝動”がそうさせるのであって、それ、、、文明国家の成果主義と相容れないのですよね。。だからこそ、妊娠する身体は“大脳の機能を停止させるほどの圧倒的な衝動”に全面的に支えられるわけです。実際私の場合は、その衝動のみでした(苦笑)。
もう本当に、恐ろしいうねりのような、全くもって頭が機能してない状態で(笑うしかない)、赤ちゃんを身ごもり、産みました。
よく言いますよね、結婚は勢いよっていう。あれです。勢いしかありませんでしたね。そして勢いで赤ちゃんが生まれました(やはり笑うしかない)。そして勢いで育児をし、夫婦喧嘩もたくさんしましたし、私の両親は結婚に反対だったのと、子離れ親離れが上手にできていなかったので、そこのしこりを残したままの結婚出産だったため(今はみんな仲良しでめでたし)、産後のケアを母にお願いできず、義母がしばらく助けてくれて、その義母の優しさにもちゃんと感謝の思いを伝えきれぬまま、必死すぎるワンオペ育児が始まり(夫は多忙で帰宅は深夜)、落ち込んで泣いたり、苛立って夜中に家を飛び出したり(完全に笑うしかない)、あまりに可愛い寝顔の赤ちゃんに感極まって泣いたり、どんだけだっていう感情ジェットコースターに乗り続け、2番目の子を身ごもったものの、妊娠6ヶ月でお腹の中で死んでしまい、でも大きくなっていたのでお産をしなくてはならず、陣痛促進剤となにかバルーンのようなものを入れられ、死んでしまっていると分かっているから涙が止まらず、でも病院の先生は非情で「なに?痛くないでしょ?」と真顔で聞いてくるし、「そういうことで泣いているんじゃありません」とやっと絞り出した声で言うと「あ、そうですか」と、まあもうほんと感情死んでるロボット先生でありまして、それも無理はない、多忙だったのだから、忙しいとは心を亡くすと書くのだから、とはいえ、死んでしまった子を産むという悲しみは大きく、いますぐこの場を去りたい、点滴の管も全部引っこ抜いて、大泣きしながらこの場を走り去りたいと思いながらのお産を終え、そこから身体と心が冷え込んで、低体温になってしまい、これではまずい。と一念発起するまで暗く引きこもり、そこを絹養生が支えてくれて好転反応に耐え、体温を元に戻すことができ、最初の子を産んでから8年後の2014年、切迫早産で1ヶ月入院しながらも、なんとか元気な女の子が生まれ、現在に至っているという状況です。
─────────
妊娠と出産という野生をくぐり抜けて出会ったひとつの命、というプロセスの体験は、確かに非常に大きくて、「生きる」ことの意味を問うならば、圧倒的な恵みとして其処にある、と私も思います。
でも、子を産む身体を持って生まれてきた、という大前提は大難題でもあって、「自己の確立」と「妊娠する身体」の間で揺れながら、迷い、悩むことのその連続の中で、更には「この人の赤ちゃんを産みたい」という“出会いの奇跡”も必要。
現代という複雑な機構の中で表現を続けていく女性にとっては、肉体的リミットという時限装置のカチカチと秒を刻む音を聞きながら、陰陽の奇跡も含めた三つ巴の条件を満たすべく日々を過ごすのは、本当に本当に大変なことと思います。
ラウラミーカにも、女性としてのとてもパーソナルなメッセージ、お悩み、伝えてくださる方がたくさんいらっしゃいます。だからこそ、このブログを読んでくださっているみなさま、そして「妊娠する身体」と向き合っているみなさまに、MARUUさんの最新作、読んでもらいたいと思っています。
ウェブ限定作品。
しばらく無料公開してくださるそうです。
MARUUさんの漫画はいつも、ズドンと深いところに温かな感動の旋律が残るんですよね。。
今回の作品も素晴らしかった。。。うさぎとフライパンが愛おしい。。。
ぜひ読んでみてくださいね。こちらの画像から飛べます。↓より楽しくマルウ漫画を読むコツがあって、PCで読まれる方は良いのですが、
●スマホからご覧の方
インスタを通すと画面縦固定で読みづらいので、SAFARIなどのブラウザで開き直し、画面を横にして読むと読みやすいです。
●iPadからご覧の方
スマホと同じく、インスタを通してページを開くと画面縦固定で読みづらいので、SAFARIなどのブラウザで開き直し、画面を横にして読むと読みやすいです。
読まれた感想など、こちらまでお寄せくださったら嬉しいな。共に感動を分かち合いたいです?