Seymour : an introduction ー『シーモアさんと大人のための人生入門』ーを観て改めて思う、アフターコロナワールド

GW中見返した映画のうちのひとつ。

Amazon Prime Videoで1週間400円で観られます?

一流のピアニストとして評されるも50代で演奏者の道を断ち、ピアノ教師としての道を生き続けている89歳のシーモア・バーンスタイン。舞台恐怖症に悩むハリウッド俳優イーサン・ホークがシーモアに出会い、真に大切なことは何かということを学んでいくドキュメンタリーです。

 

先日このブログに書いた『ザ・トゥルー・コスト』と同様

“アフターコロナという世界に入り込もうとしている今” という地点から見返すと、本当に感慨深く、また同時にシーモア・バーンスタインが伝えたかったことが、ダイレクトに、なんの邪魔もなく伝わる世界が、間も無くやってこようとしているのではないかと感じて胸が熱くなります。

 

予告編冒頭のメッセージ

 

まさに、今この瞬間を生きる私たちへのメッセージ…

 

 

 

シーモアさんのピアノの音が美しい。

『男はつらいよ』の渥美清さんを思い出します。

渥美さんはある時から、修行僧のような生活をされていたそう。そうでないと寅さんの純真な目を演じることはできないから、と。

私にとってとても大切な逸話なのですが、シーモアさんの音楽を聴いていると、渥美清さんのことを思い出すんですよね。。。

シーモアさんの表情の中に時折見せる、「成功という魔力への葛藤や格闘」が見え隠れしていて、ああ、戦ってこられたんだなあ、と。純真な目の寅さんを演じることを目指して献身されてきた渥美さんと同じだなあ、なんて勝手に思うんです。

そしてまた、格闘せねばならぬほど、成功するとか名声を得るとかって強い引力があるんだなあと思います。

メガホンを取ったイーサン・ホークも映画の中で言ってました。

そして演技をしている理由を探す中で、「成功や名声はとても表面的な理由だ。自分が本来演技をしているその意味とはなんだろう」と問うた時に出会ったのが、シーモアさんだったと。

シーモアさんのピアノを「非常に内向的な音だ」とやや批判的におっしゃる方もいて、それもある部分わかるなあと思うけれども、音の世界を探求していると、そうなってしまうのかなとも思います。ポピュラリティと真理ってなかなか交差しない気がするんですよね。。

私は、魂を磨いているからこそ出る音、
心の声に静かに耳を傾け続けているからこその音だと、

あくまで個人的にですけれど、そう感じます。

そして、この美のかけらは、
シーモアさんの生徒さんにも次々と託されていきます。
映画を通してそこを見ることができるのも、ありがたいことでした。

 

この生徒さん↓

楽譜の読み解き方、鍵盤のタッチの仕方、ソフトペダルの使い方、そんなことをひとつひとつ教えてもらううちに、スッと音の世界の奥義のようなものにあっという間にアクセスしていく、その姿、表情に心打たれました。

ああ、この方は今、シーモアさんのナビゲートで神に触れることができているのだなぁ、と。。。

 

ピアノを4歳から習っていた私は、ピアノがとても好きでした。練習は苦しいこともあったけれど、音楽の中で神に触れる瞬間って、小さな頃でも感知していたんですよね。

私は、曲の中で一番のクライマックスに近づくと、そしてこれこそがクライマックスという1音に出会うと、その音をとても慎重に静かに弾いてしまう、それは癖と言おうか、最重要に思う音を強く出したくなかった。

先生になんども「なぜそこで音を小さくさせてしまうの?」と言われていました。

だから、時に作曲家自身が、最高に大切な音を大変小さな音で弾くよう指示していると、心から安心して弾けたものでした。

音楽を完成させていく過程は、もがくし、あがくし、苛立ちもあったりしたのですが、圧倒的に美しい世界で幸せでした。特にバッハが好きで、平均律を弾いているときは至福の時でした。

毎日長いこと練習をして、だんだんと難しい曲が弾けるようになると、また次の、難しい課題がやってくる。でもそこを苦労しながらクリアすると、目の前にまた新しい風景が広がる。

そんな体験が、ピアノを通してできたこと、とても感謝しています。

父は私をピアニストにさせたかったようなのだけど、「この子は音楽が純粋に好きな子だから、音楽を武器にさせてはいけない。音楽で競わせてはダメです。」とピアノの先生が仰ったんですよね。その後ピアノのコンクールを見て、参加者の壮絶なピアノとの格闘振りを見た父は、「なるほどこの子には向いていない」と諦めたようです。

その後私は進学校に進み(英語の授業を英語で行う、全生徒の成績が張り出される、中3で高校の授業を行うような学校でありました?)高校受験勉強とピアノの両立が出来なくなって、ピアノをやめてしまいますが、今から思えば、ピアノから学ぶことの方が受験勉強よりずっと真理に近かったのではないかと思います。

この映画を見ると、ますますその思いは強まります。

 

 

 

イーサンホークにとってのメンターとなったシーモア。
親交が深いというA・ハーヴェイ氏はこう言います。

「君は素晴らしい。君の好きなところは、両者の区別がないところ。友人である君と、巨匠である君が一体であるところ。

人々は意図的に外に目を向けさせられている。なぜならそのほうが御し易いから。大衆を消費や成功の奴隷にできれば、思うままに操れるから。

だからこそ音楽が社会で果たす役割は大きい。音楽という芸術には最も神聖な力がある。音楽は我々に気づかせてくれる。心の奥にある愛情や思いやり、そして本当の自分の姿というものを。」

 

これですよねー。。。

アフターコロナ感。。。

 

 

 

音楽という世界の深奥に旅を進めていくためには、

音のひとつひとつ、
音の連なりの中にある神秘、
時を隔て作曲者の意図と音楽で結ばれる愛のようなもの、
細部にわたっての謙虚さや信頼や分析力や感謝という姿勢、

なにより宇宙との呼応のようなものを探求していく胆力が必要なのだろうと思いますが、シーモアさんが選んだ道は、間違いなく、真の旅を続けるための選択そのものであったのだと思います。

BACH-KEMPFF”Sichiliano”。動画のみなさんのコメントも良いんです。

シーモアさん、丁寧にお一人づつにお返事されていて、言葉も静かな優しい愛に満ちていて。。

 

素敵すぎる。。。

 

 

A・ハーヴェイ氏との対話中、シーモアさんはこう言います。

 

「誰もがみな、なんらかの答えを探している。人生に幸せをもたらすゆるぎない何かを。

聖書にはこう書いてある。
“救いの神は我々の中にある”と。

私は“神”ではなく、“霊的源泉”と呼びたい。

多くの人々は、内なる源泉を利用する方法を知らない。

宗教が腹立たしいのは、
答えは我々の中にはない、
と思わせていること。

答えは神にあると。

だから皆、神に救いを求めようとするが、
救いは我々の中にこそあると、私は固く信じている。」

 

学びの多い、そしてなにより音楽が全編通してとても美しい作品でした。

シーモアさん、そしてイーサン・ホークさん、感謝です。

イーサン・ホークさんは、『リアリティバイツ』の時から好きで(顔とても好み)、一時辛そうだったけど、シーモアさんに出会えてよかったなーと心からファンとして安堵しております。

ご興味あったら観てみてください?
57年住み続けているというワンルームのリビング、とてもすてき。

『シーモアさんと大人のための人生入門』

 

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