これで書き起こしは最終となります。
愛先生の考え、提案、アドバイス、そういったものに対して、いろいろな方が様々に受け取られていることと思いますが、私は仰っていることと天然がダダ漏れていらっしゃるそのハーモニーがとても好きで、占星術だけでなく生きているお姿から学ぶことも多いです。
いろいろな占星術師の方のブログや動画を拝見しているのですが、愛先生はなにかが違う。そのなにかとは、忖度の有る無しが関係しているのかな、という気が最近しています。
忖度がないというのはつまり、先生が聞き手を信頼してくださっているということかもしれない、もしくは、自己防衛というものから、自分自身をある程度解放されていらっしゃる、ということなのかもしれない、はたまた、「自分は真実を知っている者、受け手は知らぬ者」というような驕りからも解放されていらっしゃる、ということなのかもしれません。
正直に、まっすぐに話していらっしゃるという印象を持つんです。
忖度ってほら、受け手を信頼してないからこその忖度であって、つまりはこの言動を発することで相手から批判されるかもしれないとか、これ言っても相手は分からないかもしれないとか、そんなことから来る保身こそが現代における「忖度」であり、その意味で愛先生は、忖度をしない方、もうあれです、アーティストだなって。そしてそれは他者への愛だよなって思ったりします。
最終回のキーワード、
「幸せの鍵は“張り合うことをやめること”。これに尽きる」
という言葉は、多くの方が納得する部分なのではないかと思います。
「意味のない突撃を自分のメンツのために命令して、多くの人を殺していくということがいっぱいあるわけですよね。戦いの場とか政治の場なら分かるけれど、学術の場においてもある。優秀な学者間の中での張り合い、というのがあるわけだね。
張り合いというのが一つの力学になっている。
そういう中で事実が重んじられなくなるので、いつか辻褄(つじつま)が合わなくなってきてる。その集大成を今、実は歴史的に、求められてる、と。それが私の春分図の解釈なんです。今年の。」
言及されていること、今起きていること、
自分の中ですり合わせながら、
一歩一歩進んでいきたいと思っています。
少し長くなりますが、ご一読くださいませーー?
「春分レポートの最終回
総合的な解読の最終回という形です。
最後ですので今年1年の皆様に共通する、
私たちが共有する重要なポイントを述べさせていただいて終えたいと思います。
みなさんは幸せになるためには何が必要だと思いますか?
人によって答えが違ってくると思うけれども、少なくともこれだけをやったら人が幸福に生きていくことができない
それをしたらそれがメインになったらば、最終的にはきっと多くのものを失っていくだろうというものがあるんですね。
それはなにかというと、一言で言うと
「人と張り合うこと」
なんです。
人と張り合うことが人を不幸にするんです。
これは私の勝手な意見ではなくて事実なんですね。
みなさんの中でいろんな人生の中で
親しかったのに懐かしさも感じない人
その時は仲良くやっていたのに離れたら会いたくもない人
そういう人がもしもいたとしたら
その人とあなたの中には張り合いがあったからなんです
そしてこの、張り合うという思い、行為は
すべてのものを壊していきます。すべてを壊す。
それがなんで今年のまとめなのかというと
土星と冥王星が山羊座で合。
30年以上に1回しかない配置になっています。
人間が許容できるギリギリの最大の不幸をもたらす星の配置である、
それがあるから誰に取っても厳しい年であることは間違いないんです。
この張り合うという星は実は火星ではなくて土星なんです。
土星というのは山羊座の支配星で
なぜ山羊って言われるかっていうと
ホロスコープの一番上にくるこの世の王様支配者が
山羊座の位置に来る、
私が1番、私は人に負けてはならないという思いが強く出やすい星座である、
と言えます。
山羊を見ていると面白いのですが、山羊は高いところが好きなんです。
そういう習性がある。
土星というこの世の王様になりたいというところからくる素朴なものである
張り合いの中でどちらかが勝って
自分が負けると悔しいと思って上に行こうとする
それで出世する場合もいっぱいあるのでしょう。
しかし負けた人に対して相手への同情が生じないという
そういう性質になっちゃいますよね。
相手が負けたからってはりあう心をやめてまた迎え入れて。
それは友愛の気持ちの方が強かったということなんだよね
「張り合う」というのは、すべての良い長所、思い出すべてを奪い取るものです
これが限り人間界において人が幸福になることは私はないと思っています
これが土星という星の間違った使い方であり、
誰もが陥りやすい使い方なんです。
例えばお金持ち同士が張り合う。
大蔵省の官舎の隣に住んでたことがありますけれども
上に大蔵省の人たちがいて
洗濯物なんか干したりするとき、
目があうと、ふんって顔するんだよね。
平民なんかは相手にしたくないのかなって思ってたんだけど、
今から思えば、うちはいいマンションに住んでたから。
貴族院議員の家に住んでたから、それで「張り合い」ということで
ああいう態度になったのだと思います。
一部上場企業の上の方の官舎のほうとか
そういう人が集まったマンションは
そうとう張り合いの場所になってるんだろうなあと
思うんですよね。幸せなわけないよね。
底辺でもその世界でも張り合いがある。
ある意味じゃ本当に悲しいなあと思うんだけど
これが土星なんですよ。
これが冥王星という
一つの宿命をもたらすような強い星と一緒にあるとき、
冥王星のが強いんですね。
これまでやってきた清算というかそれに関しても
冷たくぶった切るというかね、
本当に考えられないような悲劇を生むという
星の配置になっています。
今年絶対気をつけなくてはならないときは、
追い込まれ苦しいことがあって
どうにもならないという状況に追い込まれたならば、
唯一助かる方法が、
「人と張り合うことをやめること」
それが今年の確実な開運の鍵であるように思っています。
面子だけを重んじる国っていうのがあるんです。
真実を重んじる国だったら
どんなに主張しても良いと思うんです。
都合が悪い真実を指摘されたとき、
土星はそれを認めないんですよ
自分が王様だから。
都合が悪い事実の前でも認めないのが
土星の一番悪いところなんだよね。
メンツを重んじる国家とかメンツを重んじる上の人、
それによって多くの人が犠牲になった歴史というのがいっぱいあるわけです。
意味のない突撃を自分のメンツのために命令して
多くの人を殺していくということがいっぱいあるわけですよね。
戦いの場とか政治の場ならわかるけれど学術の場においてもある。
優秀な学者間の中での張り合い、というのがあるわけだね。
張り合いというのが一つの力学になっている。
そういう中で事実が重んじられなくなるので
いつか辻褄(つじつま)が合わなくなってきてる。
その集大成を今、実は歴史的に、求められてる、と
それが私の春分図の解釈なんです。今年の。
そういうふうに解釈する人は少ないだろうけれども。
張り合ってしまったら終わり。
人も国家も。
そういう意味で怖いですよ今年は。
頭のいい人東大に入った人、
たまたま運が良かった人なのよ。
損したときだって本当はそうなのよ。
たまたまなの。
「張り合う」ということがなくなると
生きることが楽になって、
本当の自分が見えてくるような気がします。
土星とのお付き合いの仕方、
張り合うという形で使っちゃうので、
今年はそういうのは通用しないんで、
危機の時には今日の言葉を思い出していただけたらと思います。