色気とは立ち現れてくるもの

徒然なるままに書く、色気、色香のこと。

生まれて40年経つと、だんだんと“色気”への認識が成熟されていく気がします。

今の私が思う色気、色香。

それは死をも感じさせる、生の儚さが放つ香り。

または、生きるか死ぬかの瀬戸際で作り出されたものが放つ、
疾走するエネルギーの発光。

長谷川等伯の松林図屏風は、まさにその、
一瞬にして生き抜いた刹那の生を生ききった彼の、
ギリギリの生が放つ色香がありました。

身体と心と思考の統合地点なのだろう、と思う程に静謐で、
はかなく、と同時に生き生きと永続していくであろう美しさ。

そこから立ち現れる、生きるということの色香。

ただただ立ち尽くし、圧倒され、エネルギーに包まれた私は
おんぶしてた息子に

「この絵はきっちり見ておいた方がいいよ」

と何度も言ったのをよく覚えています。

朝露のような儚さを美しく愛おしく思うのは、日本特有の美学だと、
高校の古典の先生が仰っていたっけ。

心の師匠タモリ様が先日のヨルタモリで仰ってたことが良かったな。

内容はね、表面的にはくだらないのです。

木梨憲武さんがゲストで、スペインのビーチの話になる。
トップレスの女性の話になる。
若いオノコには最高だという話しになる。
そこで師匠、こんなこと仰るんですね(8分30秒あたり)。

「でもそれ、ガイパイでしょ?」
「え?」
「ガイパイ」
「。。。それって、外人の。。?」
「そう。外人のおっぱい」

「え、ガイパイに対して日本人はなんて呼ぶんですか?」

「ナイパイ。あるいは邦パイ」

「ガイパイはだめですか?」

「ガイパイはね、あんま価値ねぇな。
あの、なんというか、、

おっぱいとしての存在の儚さとか恥ずかしさがないからね。


“おっぱいのなにが悪い”ってこう、居直る感じがする訳だけども。
ナイパイはあの、
“すいません、ほんと見ないでください、そんな、そんなもんじゃないんです”っていう、
これが可愛くてね。」

あぁ、、わかります。私も同じような感覚をパイの内外比較に覚えます。

“存在の儚さ”が持つ色香

あえかなる美を讃える日本の美学。

あぁ、、このエッセンスをものつくりに込めていきたい、
とタモリ師匠の話しを聞きながら、そして“色気”とは、ということに思いを馳せながら、
改めてものつくりのその向かう先を見た気がしたのでした。