先日お会いした方から、こんな話を伺いました。
彼女は以前、ペルーでアヤワスカリトリートというものに参加し、カリキュラムに沿って食事制限や瞑想を行いながら、幻覚剤を用いたプログラムに参加したのだそう。
アヤワスカとは、アマゾンにある植物で作った強い幻覚作用のある薬で、ペルーの国家文化遺産になっているようです。
幻覚剤がしっかりと作用し始めると、何が起きているのか理解できるが、制御は効かないのだそうで、ゆえに、整ったカリキュラムや質の高いナビゲーターが必須なのだそう。
彼女は、自分で自分を抱きしめ、ひたすらに「ありがとうありがとう」と呟いていたら、
そのうち参加者6人がありがとうの波に包まれ、6人全員が一体化した瞬間があったのだそうで、とても強い体験で、今の彼女をある側面で支えてくれている体験なのだそうです。
その話とシンクロしたことがあって、
同じ時期に私はたまたま、グウィネス・パルトロウ率いる『goop lab(グープラボ)』のドキュメンタリー(Netflix)を観ていたのですが、
第1話は、まさに、幻覚剤を使った心理療法がテーマでした。
これは批判したり、拒否反応を示す人、
多いだろうなあ。
6エピソード全てが30分の構成で、ゆえにイントロダクション的な内容なので、ドキュメンタリーの精査は足りていないと思いますが、自分の目線を調整する良いきっかけとして、私は楽しめました。
ナビゲーションのもと、マジックマッシュルームでマインドトリップしながら、自分の奥深くにあるトラウマにアプローチする参加者たち。グウィネスのビジネスパートナーが、自身の子供時代の寂しさを振り返り、泣きじゃくりながらナビゲーターの男性2人に抱きしめられ、
「僕は小さな男の子に戻って、
ただただ抱きしめてほしかったんだ」
とシンプルな思いに行き着いた話が、とても印象的でした。
※
これは、適正な処方に基づき、信頼の置けるスキルの高いナビゲーターのもとでのリトリートということが、大切な前提となっているとのこと。
“MAPS”という、幻覚作用の総合研究機関
カナダ支局長によると、
幻覚剤は、儀式や治癒道具として数千年の
間使われてきたという歴史があるとのこと。
60年代のベトナム戦争、ヒッピームーブメン
トの中で、薬物の取り締まりが強化され、
幻覚剤も禁止となったのだが、
現在新たに治癒手段として注目を浴びて
いるのだ、とのことでした。
でもね、これもまたね、複雑な事象の、ある
側面から見た歴史観であろうと思うのですが、
心身にダメージを与える側面と
恩恵を与える側面とがあるわけで、
別の視点から見た場合、幻覚剤というもの
が存在する理由の一つが、ポジティブな
側面として、新たに浮かび上がってきた
わけなんだなあと思います。
イタリアに留学していた際、ドラッグを使用している友人や、頻繁にアムステルダムに行っていた知人がいましたし、日本帰国後に行っていたクラブや野外イベントでも、明らかにドラッグを使用していたような方を見かけたけれど、
私にはみんながイキがって使用していたように見えていたということと、ドラッグを使用している人独特の優越感みたいなものを感じていて、また、使用後の精神的なダメージが高いように見えて、私個人としてはドラッグへの印象はとても悪く、ゆえに、幻覚剤というもの全般に悪い印象を持っていたのですが、
なんでもかんでもひとまとめに考えてはいけない、かもしれない、かもしれない(笑)、と、ドラッグに限らず、様々な事象を改めて別の側面から見つめ直す、良いきっかけをいただいた一連の流れのように感じています。
おもいこみをはずしながら、冷静に慎重に繊細に微細に、ものごとを見ていく必要があるのだ、と。
大多数の人が「これはタブーだ」と判断していることも、巨大な組織が巧妙に展開した意識操作によるものだったり、代々の慣習からくる思い込み、によるものかもしれません。
タブー視する、という自分の目を
いったんフラットにして
別の側面から眺めてみる。
静かに。
マインドオブザベーション。
(心を、心の目を観察する)
そんなことで、
世界がより美しく健やかに見える。
自分の立つ世界が
昨日とは違って見える。
思い込みを外す作業って、
もしかしたら、
強力なヒーリングになるのかもしれません。
例えば、
「お母さんがダメって言ったから」
これ、けっこう多くの方が持ってるストッパーですよね。生きる年月が長くなると、ここにどんどん加算されてく。
・これがモテるって書いてあったから
・この方法だと儲かるって教えてもらったから
・わたしのメンタル問題あるって上司が言うから
でも、それを言った相手は、あなたのことどれくらい理解してるんでしょう。
ネットの情報、雑誌の情報、テレビの情報、それらなんてまさに、あなたやわたしのことを理解した上での発信じゃないですもの。
そこに少しでも疑問を持ったなら、ちょっとだけ立ち止まって、その疑問を大切にしてあげるといいのかも。
目上の者の指示や指導は、思い込みから、嫉妬から、もしくは不安から出ているものかもしれない。
あなたが、私が縛られている言葉のパワーは、必要ないものかもしれない。
そして思うんです。
私は私の心が大事。
なにがあってもね。
私はあなたの心も大事。
なにがあってもね。
疑問を持って、
観察して、
脳を休めて、
「心の声を聞いてみよう!
どうやるかわからないけど!」
と思いながらも、
まずは意識をそちらに向けてみる。
そうやって、一歩一歩、少しづつでもゆっくりでも、自分のこころを融解させられる一瞬を紡ぎながら、みなさんと一緒に進んでいきたいなと思います。