去年からゆるりと舞い始めた私、そして歌に出会おうとしている私が最近出会った、人やサイトたちの話。

くるくると回る
円を描く
舞う

マワリテメクル

カタカムナの世界
円環
エネルギーのうねり。

 

最近出会った、

ありがたき、そして懐かしき、
龍神繋がりの魂の友が、

ボッティチェリに思いを馳せていて、

 

 

三美神の

小さく美しく

生と死が溶け合うかのような
芳しい舞の姿を見ていたら、

 

そういえば、、と
舞に言及していたサイトを思い出しました。

 

 

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「今、芸能というと「エンターテイメント」をイメージする人が多いのではないでしょうか。「エンターテイメント」とは、人を楽しませる、喜ばせること。もともとは「もてなす」という意味でした。転じて、今では芸能を「見て楽しみ、日常の忙しさをひととき忘れるための娯楽」といったふうに考えられているようです。しかし、古い時代に遡ると、芸能はもっと深い意味をもっていました。
今でもそうですが、「芸能」とは、踊る、舞う、歌うことです。

その極致は、一口で言えば神々の世界と交流し、

 

「狂う」状態に入ることです。

 

精神が通常の状態ではなくなってしまうわけです。

日常を忘れ、神のごとく非日常の世界に入る、忘我の境地。

これが芸能の究極です。
なぜ、こうした「芸能」が生まれたのか。起源はおそらく縄文時代以前、石器時代人からではないかと考えています。大自然のなかで、いわば丸裸の状態で生きていた人間は、自然の力を頼って生きていました。日が照らさないと作物が育たないし、雨が降らなければ作物は枯れ、自分たちも飲み水に困ります。そこで、畏怖をこめて天には神がいると考えるようになりました。地や山、川、海、森にもそれぞれ精霊が宿っており、大自然で起きる現象はすべて神や精霊の働きによると考えたのです。今なら気象衛星で台風だとわかりますし、大地震は地球を覆っているプレートが動くことによって起きることがわかっています。
けれど古代では、神を怒らせると暴風雨や大地震が起きると信じられていたのです。こうした「超自然観」をアニミズムといいます。現在の宗教のはじまりといえるでしょう。
アニミズムにおいては、人間は神様なくして生きられません。豊作も飢饉も自然災害も神様の気持ち次第ですから、神に祈ったり感謝したりすることが非常に重要です。
この時、祈りや願いを通じて神様と交流する人を「シャーマン」といいます。「シャーマン」は自ら恍惚のトランス状態に入り、通常のヒトとしての人格を放棄して、神や精霊と交わり、お告げを受けます。病気の治療もおこないました。このような原初的な共同体の祈り(祭祀)や感謝(祭礼)における呪術的儀式が芸能の原点なのです。」

 

 

去年、
不思議な流れの中のご縁で出会った「宙遊フラ」は、

 

ほんとうに、上記の通りの感覚が宿る踊りで

 

 

ゆるやかな狂気に包まれ

静かにゆっくりと
そしてとても力強い生命のうねりの中で

女性たちが輪になって舞い、

草木や花、風は
その舞の世界に引き込まれうっとりとしている、

 

 

そんな、甘やかにして、と同時に
その奥にある生命の毒々しいまでのしたたかさも
しっかりと抱擁しながら、

ただただ、舞の世界に出会ってしまった
深い感慨が
私を捉えて離さないのでした。

 

 

そして今年は
歌だわ、と思っています。

 

「そう、歌なのだよ」とばかりに、

今年に入ってからも
ますます人との出会いは広がり、深まり、

どうやら歌う世界にも、まもなく出会えそう。

 

 

ありがたいーーーーー!
出会ってくれてありがとうーーーー!

と心の中で雄叫びをあげている日々です。

 

 

皆様、ほんとうにほんとうに感謝です。。

 

そして、
舞と歌の世界を
ナビゲートしてくれる
そんなみなさんに
出会えたこと、

出会ってしまったこの
大いなるうねりに

畏怖の念を抱きつつも
心から感謝しています。。?

 

 

 

 

世界って底なしに豊かだわ。。。

 

底なしの生命力を、舞と歌に学び、さらにすてきなものつくりに励みます?